ご挨拶
はじめまして、LAA英語スクール講師の捧慶太です。
このページでは、なぜ私が英語に出会い、どのように歩んできたのかを紹介させていただきたいと思います。
私は今でこそ長く英語の指導者として活動させていただいておりますが、もともと勉強とは全くの無縁でした。
父、そして祖父も中卒で調理師という料理一家で私は育ちました。勉強をしろと言われたことは、生まれてからただの一度もありません。父と話しをしたこともほとんどありませんでしたが、その彼に唯一守れと言われたことは「人様に迷惑をかけるな」逆にこれさえ守れば、試験に出席しなくても、学校をサボっても、どこで何をして、何時に帰ってこようが怒られたことはありませんでした。(この約束を破った時は、とても厳しい指導をいただきましたが…)、そのため中学2年生以降は学校に行くことはほとんどなく、たまに気分で行くだけで授業に出席することもまれでした。
そのため、高校に行くつもりはありませんでしたが、母のすすめでとりあえず入学試験を受けることに決め、公立の偏差値38程度の高校を受けましたが不合格、2次募集で公立の偏差値36程度の高校に合格し、入学しました。しかし結局3ヶ月で中退しました。
もちろん調理師になれ、と言われましたが、たかが15歳の子供にその言葉は重く、半年以上はいわゆるフラフラとしていました。しかしこのままではさすがに…と思い高1の冬ごろから父と一緒に働きはじめました。
私にとってこれは大きな出来事でした。一緒に働きはじめてからも会話をすることはあまりありませんでしたが、仕事終わりには2人で一緒にご飯を食べに行き、時に一言、二言、言葉をかわしながら、どこかお互いに気を使いながら、いわゆるいい子供でも、いい夫、父とも言えないお互いでしたが、少しだけ理解し合えたような、そしてそんな父を見て少しだけ将来を考えるようになりました。
親の離婚を機に、今度は塗装屋で働きはじめました。仕事はきつかったのですが徐々に慣れ、そのうちにふと将来が見えはじめました。「自分はこのままここで働いていくんだろう、10代で結婚して、子供を持って、裕福ではないし、不満もありながらも、でもまあまあ幸せに生きるんだろうな」それを嫌だと思うことも、疑うこともありませんでした。17の子供を拾っていただいたことも感謝していました。
そんな時に英語に出会いました。地方都市の、外国語が飛び交うのが不思議と言った場所で、外国人に声をかけられました。何を喋っていたかは今でもわかりません。困っていたら日本人のビジネスマンがさっそうと現れ、彼と英語で話し、お互いに私には目もくれず去って行きました。
あの時の衝撃とかっこよさは今でも忘れられません。その日から、英語を勉強してみようと思いました。
勉強を始めてからの経歴も、本当に大したことはありません。18歳の夏に高卒認定試験を1発で合格しましたが、私の勉強における栄光はそれだけです。(実際に当時の高卒認定試験は、中学3年生でも点が取れるであろう問題で100点満点中40点以上で合格でしたから)
とりあえず英語を勉強するにしても、このままでは何を目指したらよいのかわからなかったので、大学入学を目標にしましたが、しっかりつまずきました。私立の国語、社会、英語が必要な大学に、ほぼ英語だけで挑んだとはいえ、しっかり4年かかり、法政大学社会学部に入学しました。
大学はどこでもよかったです。大学生という肩書きが欲しかった、社会のことはまるで知らなかったので、社会学部というのに惹かれたのもあります。英語の授業は1年生での必修基礎英語だけでした。あとはいろいろな授業を履修しながら、ほぼ独学で学んできました。
それでも試行錯誤しながら、勉強法を試しては捨てを繰り返し、正月であろうと冠婚葬祭の時であろうと、英語を勉強しはじめてからは1日も休まず向き合ってきました。ちっぽけですがこの量が、今の私を支えていると思います。
私はまだまだです。まだ、まだ、まだ…くらいだと思います。そして特別な人間でもありません。だからこそ、私にできることがあると信じて、毎日継続しています。
長くて、少ししんどい紹介になりましたが、私のこれまでを還元できればと思っております。
保有資格 英検1級 TOEIC990点